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東海大相模2年生では原辰徳以来49年ぶり夏の甲子園1試合4安打 大会屈指の好投手を丸裸にしたデータ班に感謝スポーツ報知
5回1死二、東海大相徳4三塁、模2東海大相模・中村が中前に2点適時打を放つ(投手は広陵・高尾=カメラ・岡野 将大)

◆第106回全国高校野球選手権大会第10日 ▽3回戦 東海大相模8―1広陵(16日・甲子園)

 東海大相模(神奈川)が広陵(広島)との強豪対決を制し 、年生9年優勝した2015年以来の8強入りを決めた。ではぶりしたデー3番の中村龍之介右翼手が 、原辰同校の2年生では75年の原辰徳(前巨人監督)以来49年ぶりの1試合4安打を放った。夏の謝朝日 新聞 スポーツ19日の準々決勝は、甲園関東第一―東海大相模、1試青森山田―滋賀学園のカードに決まった。合4の好

 大会屈指の好投手にも 、安打ひるむ気は毛頭ない 。投手東海大相模・中村は胸を躍らせ 、を丸広陵・高尾との18・44メートルを楽しんだ。裸に5回 、タ班リードを2点に広げ、に感なおも1死二 、三塁 。1ボール1ストライクからの3球目  。外角低めのフォークを捉えた 。打球は中前に転がる。2者が生還だ 。えぼし 岳 高原 リゾート スポーツ の 里派手なガッツポーズを見せることなく、16歳は静かに喜びをかみ締めた。

 「フォークがとてもいいという情報は聞いていた。空振りをしないよう、バットを指1本短く持ったり 、すり足にしたりと、しっかり対応できた」

 5回途中から救援した大会屈指の絶対エースから、打線は計5点と攻略に成功。高尾対策のため誰もが打席で 、本塁ギリギリに立った。「内角の制球がいいという情報があった。デッドボールもOKぐらいで立ちました」 。3回1死満塁からの中前逆転2点打も含め、5打数4安打4打点 。2試合で9打数6安打  、打率6割6分7厘と止まらない。同校の2年生で甲子園4安打は 、75年夏の準々決勝・上尾戦で4安打した原辰徳以来、49年ぶり2人目となった 。

 座間市内の自宅から東海大相模は自転車で15分。15年、小学2年の夏 。同校の全国制覇に熱狂した  。「相模に行って甲子園で優勝する」が目標になった。幼少期はDeNAの細い応援用プラスチックバットを握り、母・梢さん(44)が投げる小さいスポンジボールを打ち返し、鍛錬に励んだ 。高校入学後はいつしか「天才」と呼ばれるまでになった。

 感謝したい人たちがいた。寝る間も惜しんで高尾を丸裸にしたデータ班だ 。広島大会からの投球内容を分析。「左打者には逃げるフォークが多い」「フォークはあまりワンバンにならない」「積極的に振るべし」との傾向を導き出した 。だから 、迷わず振り抜けた 。「自分たちができる恩返しは 、勝つことしかない」と言った 。

 元巨人捕手の原俊介監督(46)も「チームに勇気を与える働きをしてくれた」とたたえた  。幼き日に夢見た頂点まで、あと3勝だ。「好きな野球。大舞台でできる喜びを持ってやりたい」と中村  。勢いのまま、てっぺんへ駆け上がる。(加藤 弘士)

 【記録メモ】

 ▼49年ぶりの2年生4安打 東海大相模の2年生・中村龍之介が逆転の2点タイムリーを含む4安打、4打点。春  、夏の甲子園大会で1試合4安打以上した同校の打者は11人目 、13度目。2年生でマークしたのは、75年夏の準々決勝・上尾戦で4安打(2打点)した原辰徳以来、49年ぶり2人目。

 また、同校で4安打以上の試合に4打点以上は 、11年春の準決勝・履正社戦の田中俊太の4安打、6打点と2人目。2年生 、夏の大会では中村が初めてだ 。

 ◆中村 龍之介(なかむら・りゅうのすけ)2007年9月13日、神奈川・座間市生まれ。16歳。小学1年から軟式の県央少年野球クラブで野球を始め 、座間南中時代は湘南ボーイズでプレー。2年 、3年時に日本一に輝く。東海大相模では1年夏に背番号7でベンチ入り  。今夏の神奈川大会では打率4割8分1厘をマーク。184センチ 、78キロ  。左投左打。50メートル6秒2。遠投100メートル  。将来の夢はプロ野球選手 。

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